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ハバロフスク紹介
地理、気候、歴史
ハバロフスク市はアムール川と、その分流や支流に沿って約45キロメーチルにわたって広がっています。面積は約400平方キロメートルです。日本との時差は+1時間、夏には+2時間です。人口は約70万人です。極東ロシアで、ハバロフスク市はウラジオストック市についで二番目に人口の多い都市です。
ハバロフスクの冬
ハバロフスク市は寒暖の差の激しい大陸性モンスーン気候帯にあり、平均気温は冬零下22度で、夏は逆で、平均気温は22度です。冬は一年で最も長く、11月初め頃から3月末までの150日間で、冬の一月は気温がマイナス30度まで下がることもあります。大体11月から4月中旬ごろまで雪に覆われています。夏は短く、6月初め頃から8月末までです。しかし、夏の7-8月には連日30度を超えることが珍しくなく、最高気温は38度まで上がることもあります。降水量は8月が最も多く125ミリ、最低は2月で13ミリです。
街の歴史は長くないですが、2010年5月30日にハバロフスクの開基152周年を祝うことになりました。1858年に当時の清国と帝政ロシアの間で愛琿条約、また1860年に北京条約が調印され、これらの条約によってアムール川とウスリー川に沿って国境線が公式に定められました。1858年に国境線の警備のために、アムール川沿岸の各所に監視所がいくつか建設され、その一つは、1649年にこの地に足を踏み入れた開拓者エロフェイ・ハバロフにちなんでハバロフカと名付けられました。駅前の広場にはハバロフの銅像がたてられ、街に視線を向けています。当時の帝政ロシアでは1861年に農奴制が廃止めされ、農民のシベリア移住が急激に増加しました。1891年に始まったシベリア横断鉄道の建設はそれを促進しました。ハバロフカは1880年に市制が敷かれ、1893年に現在のハバロフスクという名前になりました。ハバロフスクは日露関係の発展の成り行きを見た行生き証人です。日露戦争が終わった後、帝政ロシアと日本との関係が深くなり、明治終わりごろから極東ロシア・シベリアへ日本人が居留し、居留民の建てた建物がまだ残っています。1916年にはアムール川の鉄橋建設の終了と共にシベリア横断鉄道が全通し、ハバロフスクはロシアの極東地域発展の重要な拠点となりました極東地域はロシア革命直後の1918年から22年にかけて白衛軍と呼ばれる反革命軍が制庄し、1918年にはシベリア出兵によりアメリカや日本をはじめとする連合国軍がウラジオストックとハバロフスクまで進出しました。その後、1920年に緩衝国として極東共和国が成立し、1922年に日本軍がシベリア出兵を終了すると、ハバロフスクにシビエト政権が確立しました。そして、忘れてはならないのは、第二次世界大戦後は日本関東軍抑留者収容所が設けられ、ハバロフスクで土木工事やビル建設など強制労働に従事させられていたということです。
エロフェイ・ハバロフ像
文化と休息の公園
シェフチェンコ通りに沿ってアムール河畔の丘の上から川岸まで広がる、街で最も古い公園です。戦後、その整備作業には日本人抑留者が関わりました。中には「アムールセッペキ」と呼ばれる展望台、郷土誌博物館、街を創立した元東シベリア総督ムラヴィヨフ・アムールスキー銅像、遊覧船の船着場、夏の砂浜などが点在しています。1960年代、オクラードニコフ・ロシア科学アカデミー会員は、ここで考古学発掘を行ない、新石器時代の住居地跡を発見しました。これによってハバロフスクの川岸の絶擘の展望台付近には、かつて、魚をとる人や狩猟家たちが住んでいた原始時代の町の中心地があったということが立証されました。展望台からは雄大なアムール河の素晴らしい眺めを楽しむ事が出来ます。
アムール川の遊歩道にて
アムール川
「アムールセッペキ」と呼ばれる展望台
大聖堂広場とメインスリートムラヴィヨフ・アムールスキー通り
文化と休息の公園南側には街で最も古い場所大聖堂広場が広がっています。スターリン時代には、ここに立っていた古いロシア正教の大聖堂が取り壊されました。広場の再建工事にはコムャa[ルと呼ばれる共産主義青年同盟の人たちが携わったので、この広場はコムャa[ル広場と命名されました。2001年、昔の設計図を基にしてウスペンスキー大聖堂(聖母昇天大聖堂)が新しく建てられたので、また大聖堂広場と改名されました。1891年5月、ウラジオストクで催されたシベリア横断鉄道の起工式に参加したニコライ星太子がハバロフスクへ立ち寄り、大聖堂広場で大きいに歓迎を受けました。現在、広場の真中には曙資蜉v命についで起こった国内戦争のことを偲ぶ赤軍とパルチザンの記念碑が立っています。すぐそばには、文化と休息の公園やアムール川の眺めが楽しめる、2003年に出来た展望台があります。ツルゲーネフ通りとの交差点角にはア・ラ・ルースという古いロシア建築様式で建てられた、ハバロフスクで一番美しい煉瓦告りの建物があり、ここには、昔は百貨店、今は州立科学図書館が置かれています。大聖堂広場とレーニン広場を結ぶ長さ約キロのメインストリートは並木の美しいムラヴィヨフ・アムールスキー通りです。カフェや食料品店、百貨店や様々な専門店、映画館、銀行や官庁関係の建物などが並び、そぞろ歩きを楽しむ人々でにぎわっています。ハバロフスクの人々の生活を観察するには、もってこいのポイントです。建築的に最も興味深い古い建物の多くは、この界隈に集中しています。
大聖堂広場
美しいムラヴィヨフ・アムールスキーハバロフスクのメインストリート
大聖堂広場と文化と休息の公園とハバロフスクの中心
栄光広場と第二次世界大戦記念碑
アムール川に面した高い岸の上には栄光広場があります。この広場は上の広場と下の広場の二つに分かれており、下の方にはファシスト・ドイツに対する戦勝40周年を記念して建てられた記念碑があり、その前には、戦没者を偲ぶ「永遠の火」が燃えています。すぐそばには展望台があり、ここからはアムール川とその対岸に広がっている別荘地帯などが望めます。また、晴れた日にはここからロシア領内にある自然保護区のヘフツィール山脈と、中国領内にある撫遠山が見えます。上の方には極東ロシアで最も大きい、高さ70メートルのスパメEプレオブラジェンスキー大聖堂が聳え立っています。この大聖堂は2003年に建てられ、内部の装飾は2005年に完成しました。毎年ここではキリスト降誕祭や聖母マリア誕生祭、その他のロシア正教の祝祭儀式が盛大に行われています。
3年ほど前には栄光広場の下の方では、アフガン戦争、チェチェン戦争の時に亡くなった兵士達を偲ぶ綺麗な慰霊碑が建てられました。
栄光広場全体はャrエト時代やロシア時代に起こされた戦争の犠牲者を偲ぶハバロフスク市内の慰霊広場となっています。
第二次世界大戦記念碑
スパメEプレオブラジェンスキー大聖堂
レーニン広場
教会広場から始まるムラヴィヨフ・アムールスキー通りをまっすぐ行くと中心街のちょうど真中のところで広く美しいレーニン広場に出ます。レーニン広場は、中央にレーニン銅像と赤い花崗岩で作った綺麗な噴水があり、周りには、白い大理石で外装された州政府の建物、中央電信電話局、ツェントラリナヤホテル、市立病院、医科大学などが並んでいます。建物の中で(ゴーゴリ通りとの交差点)、特に目立っているのはスターリン時代の典型的な建築様式で日本人抑留者が建てた公務員学校のがっしりした灰色の建物です。帝政ロシア時代には観兵式場として使われ、ャrエト時代には革命記念日の軍事パレードやメーデーのデモ行進が行われた場所です。現在、ここでは、毎年5月下旬ごろ、ハバロフスク創立記念日に際しての祝賀パレードが開催され、このパレードには、カラフルな民族衣装や様々な衣装をまとった約1万人の市民達が参加しています。また毎年1月の始めごろ、ここでは市民に最も愛されているお正月のヨルカ祭が行われ、また氷彫刻も展示されます。
レーニン広場に面して医科大学と公務員大学があるので、ここは何時も若い人たちで賑わっています。
レーニン広場
中央市場
プーシキナ通りからトルストイ通りにかけて、アムール並木通りに沿って中心街で最も大きい市場が広がっています。ハバロフスクの中心市場を訪れると、ニュースで聞いた「ロシアには全く売り物がない」という物不足は感じられないでしょう。中央市場はいくつかのセクションに分かれており、屋外は屋根付せき屋台で、野菜、果物、花、魚、肉、ダーチャと呼ばれる家庭菜園で取れたものなどを売っています。下のマーケットでは様々な書類の缶詰め、卵、パン、カップヌードル、菓子類、お米などの食料品のほか、衣類、靴、家庭用品なども売っています。屋内のマーケットには肉、燻製食品、かにの缶詰め、イクラ、牛乳製品などが豊富にあります。朝鮮系の人がキムチや調味料を売るコーナーもあります。
ハバロフスク国立サーカス
中心街から南約3キロの所に、有名な宇宙飛行士にちなんで命名されたガガーリン公園があり、その中に、2001年に大きなサーカスがオープンしました。ここではボリショイ・サーカスを初めとするモスクワやサンクト・ペテルブルグ等の都市のサーカス団が上演しています。各サーカス団は3週間にわたって週二日(土、日)公演します。サーカスは公演の終了後10間ぐらい休演します。
ハバロフスク国立サーカス
アイスホッケースタジアム「プラチナ・アリーナ」
2003年8月30日にオープンした最新式の屋内アイスホッケースタジアムです。一度に約7100人を収容できるロシア最大のスタヂアムの一つで、アイスホッケーの試合のみならず、コンサートや民族ショーなどの文化イベントにも幅広く利用されるしています。ハバロフスク最大のコンサートホール「プラチナ・アリーナ」では、絶大な人気を誇る外国のハードロックバンドやロシアでよく知られている多くのロックバンドのコンサートが開催されました。このスタヂアムは金鉱業会社「アムール」が建てたものです。中のインテリアはとても綺麗で、高級レストランとコーヒーショップもあります。
屋内スタジアム「プラチナ・アリーナ」
駅前広場
日本からウラジオストク経由で入国する観光客が寝台急行「アケアン号」に乗って、車中で一泊して到着するのが、ハバロフスク駅です。(所用時間:13時間)駅前広場の真中には町の名称の由来になった開拓者ハバロフの銅像が立ち、お客様を歓迎しています。2003年秋には駅酷烽フ建物は古い建築スタイルア・ラ・ルースで完全に修復され、外観が綺麗になりました。駅酷烽フ一階にはチケットの売場とレストラン、二階には大きな待合室があります。この駅からロシアの首都モスクワまで列車で行くと六日間かかり、距離は実に長く、8351キロです。駅の正面入口のところでは立ち売りの清涼飲料、オイロシキ、アイスクリームも売っており、駅前広場の向こう側には市場もあります。2008年にはハバロフスクの開基150周年記念祭開催の準備事業の一環として、この駅前広場で整備作業が行われ、噴水が作られました。
ハバロフスク駅前広場
アムール大橋
中心街から北約4キロの所には、アムール川を横断するアムール大橋があります。1916年、様々な輸送問題を解決するために、ここに鉄橋が建設されました。アムールの奇跡と言われたこの鉄橋は、80年間、確実に人々の生活に貢献してきました。しかし、10年ほど前にイタリアの建設会社の参加で再建工事が始まり、1999年10月、昔の鉄橋は新しい姿に変わりました。両岸への陸橋及び桟橋を含むこの橋の全長は約2、6キロです。自動車用道路は線路の上方に敷かれ、シベリア横断鉄道最大の2層式の自動車鉄道兼用橋になっています。現在、このアムール大橋は実際に使われていますが、その工事はまだ続けられています。2006年からここでは第二期工事が急テンポで行われています。2007年には全長約1000メートルの橋桁が4本架設されます。ロシア全土で唯一の2層式の大規模な自動車鉄道兼用橋建設は、2008年に第二期が終了しました。2009年には、二本目の鉄橋周辺のインフラ整備の終了とともに、列車や自動車などの交通機関の運行を開始し、運行迫ヲが1,5倍向上しました。その後、このアムール鉄橋の底の下にある古い鉄道用のトンネルの第三期修理工事が始められました。
アムール大橋
郷土誌博物館
インツーリスト・ホテルの近くに建つ、赤レンガの古い建物です。1896年にロシア地理学会のアムール川流域支部によって開設され、極東・沿海地方の歴史、自然、風俗に関する資料が展示されている博物館です。世界に三つしかないという「ステラー海牛」の全身骨格が特に有名です。旧館の1階にはマンモンスの牙、太古のサイの骸骨、天然の鉱物、森林地帯に住む様々な動物や鳥の剥製、世界で最も大きい淡水魚アムールのチョウザメ(カルーガ)の剥製などがあり、2階には北方少数民族の生活用具や民族衣装や宗教上の用品などが展示されています。いくつかの展示室にはシベリア開拓や日露戦争の写真やロシア革命についての展示などもあります。2004年4月に開設110周年を迎えたこの博物館は改名され、極東郷土誌博物館と呼ばれています。2008年10月には、旧館のすぐそばにはかなり大きい3階建ての新館が建てられました。
郷土誌博物館
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